朝の散歩、浄瑠璃寺

奈良3日目。
早起きをして興福寺へ散歩に出かける。
朝の空気がすがすがしい。磨いたガラスみたいに透明さを感じる。

毎日新鮮な野菜をいただいているので、すこぶる調子が良い。
2日目は起きれなかったが、エネルギーをチャージできているらしい。

自分の表情も変わってきている。


人間がまだいないので、奈良公園の鹿が猿沢池のほとりを歩いている。
近くに寄っても気にもしない。カメラを向けても、まるで視界にはいってないかのように横を通りすぎてゆく。
鳥の鳴き声。

ZOOMを持ってくればよかった。
音のバイブレーションが違う気がした。


猿沢池は今回の旅の基地点となった。
昨晩はライトアップされた五重塔や柳の緑を妖しく映し、
まだ明けきらぬ朝には、薄墨を流したように反転の世界を映す。
研磨されきっていない銀の朝日が昇り、二つの世界と二つの太陽が目の前にある。
ほとりのベンチに座り、しばらく見ていた。


二回目の朝食はパワーサラダにした。たっぷりの野菜、カボチャの煮物などをメインに。
気になっていたカレーもすこしだけ。豆かと思ったらレーズンと林檎の入った甘くて後から刺激のくるカレーだった。


ホテルをチェックアウトし、友人の計らいで、平城宮跡を眺めながら高校の修学以来の浄瑠璃寺へ。
浄土の彼岸と此岸を表した庭、すごく記憶にのこっている。
何体かの仏像を眺めながら建物を出たときに見た庭に目を奪われた。
修学旅行で心が動いたのは、この庭ひとつ。1なにをキャッチしたのだろう、16才のわたし。


今回はなにも感じなかったら、せっかく機会を設けてもらった友人に悪い。
そんなことをつぶやいたら、友人は笑った。
随分と長い時間がすぎたものね。いろいろ体験してきました。


高校時代の記憶をたどりつついく。

本道の入口が逆になってない?ここから出て感動したのに
そこから入ってゆくよ。

仏像が並んでいるのみたね。

岩船寺から歩いてこなかったっけ?とか。


眺めるだけだった庭を一周する。ヒメジオンとか、懐かしい草花がある。

友達の記憶に残る岩船寺へつながる道を途中まで歩いてみた。
小学校の帰りに摘んでいた草花がたくさんある。

桜より薔薇より、やっぱり草花が一番好きだ。

電信柱の横からたけのこが頭を出しているのを友人が指差す。
れんげには蝶、蜂、テントウムシが夢中で蜜を吸っていて、風に揉まれて大きく揺れたって、びくともしない。
しなやかでたくましい小さなものたち。


その頃にはもう思い出から離れて、今の自分に戻っていた。
二人とも付いたり離れたりしていたが、やがてそれぞれの歩調で歩き、言葉を出さず、草の一本のように奈良の道をただただ歩いていた。


「今日はたけのこご飯です」
の文字に誘われ、近くの茶屋でランチをする。
油揚げがコクをだしていて地味ながらいい仕事をする。
まだ食材になっていない山椒の葉っぱが、植物の顔をしてのっかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大和三山、天河大弁財天社、安部文殊院

 

ホテルの近くにある猿沢池から見る興福寺五重塔はとても美しい。

水面に逆さに映る柳、ライトアップされた塔のシルエットや光。人の影。

食後の夕涼み。鯉が跳ねる音がする。夜の水の中に鯉はまだ泳いでいるかな?

 

本日も遡ります。

夕飯はならまちでイタリアン。大和牛とポークがたっぷり入ったミートソースを地元のビール「そらみつ」でいただく。油が少ないトマトでべっちゃりもしていない。まるでふりかけみたいにさらっとしたお肉のそぼろといった方が近い。でも、ちゃんとミートソースの味がする。細めのスパゲッティが深いお皿にたっぷり詰まっていて、お肉もたっぷり載っている。このソースをつまみにビールをいただいた。苦みがすくなくすっきりとた味わい。薄いのではなく、いい素材を使っていそう。ラベルの裏をみたら新潟で生産されていた。なるほど。遠くとも妥協をしないのだな。奈良と新潟は似ていると思う。必要以上に開発をせず、自然を優先し、地元で採れたものを丁寧に調理して食す。決して派手ではないけど、味わいが深く飽きることがない。

ついてきたサラダの野菜もフレッシュだった。クルトンは黒パンかができている。黒パンっていいセレクト。

何でここ来たかというと、サンルートホテルでならまちで使える500円チケットを二人分もらったから。午後6~6:30で多くの店が閉まる。縦横の路地に雑貨店、カフェ、イタリアン、居酒屋、すし屋、など小さなお店が立ち並び、歴史と今のセンスが混じりあう。御朱印帳専門店では友人が、買ったばかりの帳面があるのに衝動買いをしていた。

 

ぶらりぶらりしていると、お寺の鐘が聞こえたりする。雑貨店からはお香のにおいが漂い、知らぬ間に癒されてゆく。

 

この日、夢が叶った。見てみたかった香久山、耳成山畝傍山を移動中の車の窓から見ることができた。さらには二上山までも!立ち寄った安倍文殊韻にある安倍清明が観測していた天文台へ何気なく登ったら、向かって右に耳成山、左にちろりと香久山、畝傍山、奥の方にに二上山が見えた。なんとそこには藤原京もあったそうで、憧れていた万葉の時代の中心地がひろがっていた。

 

安倍文殊韻、スマホが薦めてきていた。友人はここにある文殊菩薩の獅子がかわいくて、いつか行ってみたいとお気に入りに入れておいたそうだ。そんなことで即決で行くことになった場所。ご本尊の文殊菩薩は知恵の神様でクール。その菩薩を載せた獅子の顔が困ってびっくりして、かつ気を吐いていて、絶妙な表情をしている。そのまわりの五体の像もみな違うテイストで、仏教臭くないユニークな表情をしている。

ここは祈祷でなりたっているお寺らしい。外からの参拝は無料。中の仏像をみたりするには拝観料は支払うけど、お坊さんの解説によると葬式もないそうだ。祈祷だけで成り立っているのは、祈祷になにかあるおかげかもしれないとおっしゃっていた。

 

祈祷にはたぶんなにかある。その前に出かけた天河弁財天社は、境内に一歩入ると空気が一変する。奈良南部にあり、大峰山からの湧水が川になって流れる、元々清らかな自然に囲まれている地だから、水、緑、風が本当にすがすがしい。それに増してなのは、祈祷や掃除といった人が作りだした気が関わってくるに違いない。

里山のように、天と人は決して交わらないが隣り合わせで共存するエリア作りが、人間は上手なのだな、と想像した。

 

お昼は歩いて1分のログハウスのカフェで、スパイシーにしてもらったココナッツカレーを食べた。カボチャ、ホウレン草、よく分からない芋(地の野菜?)などがトッピングされている。野菜がおいしい。また無農薬のハーブティーが今まで飲んだ中で一番おいしかった。

 

ホテルの朝ごはんもおいしい。ロケーションと食事のうまいホテルなんて、最高ではないか。

バイキングでは生野菜てんこもり、フルーツ、お漬物、ほかのおかずもつぎつぎ足されてゆく。奈良は盛りが良い気がする。ケチることなど念頭になく、自然体でたっぷりともてなしてくれる。いいなあ。ありがとう!

 

 

奈良への旅

10連休のゴールデンウィーク後半は、二泊三日の奈良への旅。 

今はある古寺の近くにあるホテルで、お風呂に入りベッドの中で書いている。

 

遡り記してゆくと、夕飯は近くで買ってきた柿の葉寿司、マツコの知らない世界で紹介されていたフレンチフライが乗った練り物、コンビニの大人のポテトサラダ、友人が東京駅で買っていた築地の厚焼き玉子サンドイッチ、そしてビール一缶を紙コップで分けて飲んだ。

ホテルのベッドに座りゆるりとテレビを見ながら過ごすのもよい。

玉子サンドが予想外に分厚くて(普通の三角のだと思ってた)、湯葉は明日へ持ち越し。

カップのこと味噌汁も。お腹すくと適量がわからないね。

 

夕飯を買い出しながら奈良の路地を散策した。

六時の鐘の音が響く。

夕方、閉めはじめた店もあるなか、まだ開いている雑貨屋を数件覗く。

鹿のモチーフのある麻のグッズが愛らしい。

お香の香りがほんのりと漂い、息をする度に癒されてゆく。

笑顔になる。はしゃぐ。はしゃげるんだ、自分(笑)

 

田んぼだったら、干からびて土が割れてるみたいな。しみてゆく。

 

近鉄奈良からみる景色もひろびろとしていて

新緑のこと黄緑、空の水色と羽のように薄い雲の白が水彩画のようで美しい。

高い建物がないからか、空が高く見える。

 

高の原を抜けるころ、友人が飛行機だと言う。

高い木々の枝と葉っぱに隠れてみえないが、ようやく小さな飛行機を見つけた。

生まれたてのめだかが泳いでいるみたいだ。空は水面。尾っぽに白い軌跡が伸び消える。

奈良の空気は飛行機も自然の生物めだかにする。


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奈良へ移動する前、新幹線を降りた京都では東寺に立ち寄った。

5、6年くらい前にきた時に寄りたかったのを思い出す。

急に暑くなってきた正午、稲荷大社を曲がり東寺へあるくと、正面に門が見えてくる。

門は庭の緑を切り取るフレームとなり、趣のある風景を作っている。

新緑の向こうの五重の塔は黒々として、コントラストに足を止めて写真をとる。

手前には水がきらめく。塔と木と水しかないのに、見上げてしまうのは千年の以上の時間、仏教芸術だから?

なんだろう古い、美しいってことでなく、タイムマシンなのかもしれない。

当時の人と同じ目と思いで見上げているのかもしれない。

そうでなければ、金堂の月光菩薩をみた途端、そのふくよかさとやさしい佇まいに涙がでそうになるなんてしない。

仏師はどんな世に何を見て、何を思い、その仏像を表現したのか。

わたしがそんな想像するのは、仏師が未来へ託した願いがあるから、もっと強い意志的なさらに言えば啓示的なものがそこにあるからだと思う。

わたしたちは会話をしている。

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講堂の仏様も大きくてすばらしい。

東京へ出張中で留守の方々もいらっしゃった。

仏の世界も忙しいらしい(笑)

 

 

 

 

 

 

 

ワイドショーをみて皇室を思う

この数日、天皇皇后についてのテレビ番組が多く興味深く見ていた。

象徴天皇ってなんなんだろう?

知るにつれ、まるで人格を職業としている方々のようだ。

その努力、姿勢はすばらしいし、尊敬もするが、同じ人間に随分と残酷なことを強いているように感じた。

 

皇室の方々の姿を見るのは好きだ。

発達した頬の筋肉は、アスリート。

意識して笑顔でいるからできる造形美。

尊い

アルカイックスマイル。

 

眞子さま佳子さまのプリンセスたちの愛らしさ。

尊い

好きな人と結婚してほしいと思う。

どんな場所であれ、賢い人は自分の道をみつけられる。

同じ時代を共有させていただけるなら、それぞれの方々の破り方、守り方を見てみたい。

 

天皇の大事な役目に神事があると聞く。

日本の神々はとてもユニーク。

のびやかであってほしいし、ゆるりと見守れる国民のひとりでありたい。

 

しっかし、優秀な方々が皇室に嫁がれているなあ。

上には上があるもんだねと、ワイドショーで小和田雅子さん時代を見て、母とため息をついた。

美智子さまも世が世であれば国際的に活躍されていたことだろう。

歌うまいし。

和歌の流れをくむああいう歌を詠める人は、今なかなかいないだろうな。

(誉めでもなく、けなしでもありません。文芸は多種多様ですから。)

 

令和元年五月一日 持統天皇の歌

今日から令和元年。
天皇が即位された。
生前退位をされた前天皇(上皇)。

その深い考えに今さら気がついた。

驚きと敬意。感謝だ。

 

時代が変わる。
あたらしい時代の幕開けという明るくエネルギッシュで希望に満ちていた今日。
生前退位がもたらしたインパクト。

深くわたしたちの中にも根付き、令和の時代を生きてゆけますように。

 

昭和、平成と繰り越しの問題もある。
今日を人生の谷間にいて、あるいは苦しみの中にいて迎えた方もいらっしゃるだろう。
さまざまな痛み、苦しみ、悩みに、見える手見えない手が添えられますように。

ひとりひとりが輝く世になりますように。


春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山
持統天皇

 

3日から奈良へ出かけます。
憧れの持統天皇の歌を万葉集より。
百人一首で知られた歌だけど、百人一首の歌はリバイバルで、当時の流行の調べにアレンジをしている。

元歌はすごいリアル。
目の前に衣が干されている。
白と新緑の緑の鮮やかさ、なんとなく湿気さえ感じる。
天の香久山は当時は神事をする場所だったらしい。
春から夏へ、それはまるで時代の到来のようで、天皇の力の充実も伝わってくる。

 

あたらしい天皇皇后に祝福がありますように。

ながいながい準備や時間を費やし

ふかいふかい悲しみに向き合い

そのすべてがこれからの糧となり

神々と人々と寄り添う力となりますように。

 

共に時代を歩んでゆきます。

トンネルの先のひかり

22と25の男子が入社し、社内の雰囲気は明るくなった。

おじさん、おばさんの年代のそれ以外のメンバーは気持ちが和らぎ、関係も和らいできた。

上の人たちも喜んでいるだろう。

 

わたしの辞めるの気持ちは変わらない。

ガタガタしている時こそ見切れば楽なだろうが、そういうのはできなかった。

誰に遠慮することなく辞められる時期がようやくきたと思う。

あとすこし。

次の方向をみつけたら、動く。

 

セッション後 3週間

QHHTのセッションを受けてから、いろんなストレスや訳の分からないことに思考をとられることもなくなり落ちついている。
めぐりにあるものに気付くことができる。
長い間、網膜をするすると景色が流れ落ちるだけで、味わうことはできなかった。


今はプールにいったり、テレビみたりゆっくり過ごしている。
過食も落ち着き、習慣で買うものを食べたりしているが、もっとシンプルになりそうだ。

 

私の中の彼女ともっと一致したい。
ツキツメテミレバ、彼女の望みは私の望み。

それを叶えてゆきたい。