奈良への旅
10連休のゴールデンウィーク後半は、二泊三日の奈良への旅。
今はある古寺の近くにあるホテルで、お風呂に入りベッドの中で書いている。
遡り記してゆくと、夕飯は近くで買ってきた柿の葉寿司、マツコの知らない世界で紹介されていたフレンチフライが乗った練り物、コンビニの大人のポテトサラダ、友人が東京駅で買っていた築地の厚焼き玉子サンドイッチ、そしてビール一缶を紙コップで分けて飲んだ。
ホテルのベッドに座りゆるりとテレビを見ながら過ごすのもよい。
玉子サンドが予想外に分厚くて(普通の三角のだと思ってた)、湯葉は明日へ持ち越し。
カップのこと味噌汁も。お腹すくと適量がわからないね。
夕飯を買い出しながら奈良の路地を散策した。
六時の鐘の音が響く。
夕方、閉めはじめた店もあるなか、まだ開いている雑貨屋を数件覗く。
鹿のモチーフのある麻のグッズが愛らしい。
お香の香りがほんのりと漂い、息をする度に癒されてゆく。
笑顔になる。はしゃぐ。はしゃげるんだ、自分(笑)
田んぼだったら、干からびて土が割れてるみたいな。しみてゆく。
近鉄奈良からみる景色もひろびろとしていて
新緑のこと黄緑、空の水色と羽のように薄い雲の白が水彩画のようで美しい。
高い建物がないからか、空が高く見える。
高の原を抜けるころ、友人が飛行機だと言う。
高い木々の枝と葉っぱに隠れてみえないが、ようやく小さな飛行機を見つけた。
生まれたてのめだかが泳いでいるみたいだ。空は水面。尾っぽに白い軌跡が伸び消える。
奈良の空気は飛行機も自然の生物めだかにする。
奈良へ移動する前、新幹線を降りた京都では東寺に立ち寄った。
5、6年くらい前にきた時に寄りたかったのを思い出す。
急に暑くなってきた正午、稲荷大社を曲がり東寺へあるくと、正面に門が見えてくる。
門は庭の緑を切り取るフレームとなり、趣のある風景を作っている。
新緑の向こうの五重の塔は黒々として、コントラストに足を止めて写真をとる。
手前には水がきらめく。塔と木と水しかないのに、見上げてしまうのは千年の以上の時間、仏教芸術だから?
なんだろう古い、美しいってことでなく、タイムマシンなのかもしれない。
当時の人と同じ目と思いで見上げているのかもしれない。
そうでなければ、金堂の月光菩薩をみた途端、そのふくよかさとやさしい佇まいに涙がでそうになるなんてしない。
仏師はどんな世に何を見て、何を思い、その仏像を表現したのか。
わたしがそんな想像するのは、仏師が未来へ託した願いがあるから、もっと強い意志的なさらに言えば啓示的なものがそこにあるからだと思う。
わたしたちは会話をしている。
講堂の仏様も大きくてすばらしい。
東京へ出張中で留守の方々もいらっしゃった。
仏の世界も忙しいらしい(笑)